バスティーユ牢獄襲撃(1789年7月14日)
ジェイ教育セミナー手柄駅東校 久米田
明日は、フランス革命はじまりの日といわれる「バスティーユ牢獄襲撃の日」です。『ベルサイユのばら』のクライマックス、かつては近衛士官として王妃マリー・アントワネットに仕えていたオスカルが、名門貴族の爵位を捨て、民衆とともにバスティーユ牢獄を襲撃するも壮絶な最期を遂げる日といえば、わかりやすいでしょうか。
漫画のキャラクターで葬儀が実際に執り行われた人物といえば『あしたのジョー』の力石徹が有名ですが、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェも、その稀有な例のひとりです。生前は男装の麗人(つまり女性)として社会現象になるほど世の女性に大変な人気があり、「オスカル様のため」という男性からすれば泣くに泣けない理由で恋人と別れたり、婚約破棄したりする女性が続出したほど。というわけで、オスカル様がバスティーユで敵の凶弾に斃れたときには、悲嘆に暮れたファンの呼びかけで、実際に葬儀が催されたとか。近頃よくドラマで人気のキャラクターが亡くなったりすると、「○○ロス」なんて言葉がSNSを通じて拡散されたり、「悲しくて仕事休んじゃいました」などという街の声がテレビで取り上げられたりしますが、まだまだ甘いと言わざるをえません。
18世紀末、フランスでは旧制度(アンシャン・レジーム)と呼ばれる社会体制によって、人口の2%程度にあたる第一身分(聖職者)と第二身分(貴族)が、第三身分(市民や農民)を支配していました。当時のフランスの財政は、国王ルイ14世以来の宮廷の浪費や対外戦争の出費がかさみ、国庫収入が約5億リーブルだったのに対し、累積赤字は約45億リーブル、負債利子だけで約3億リーブル、さらに税金を免除されていた特権階級への年金約2.5億リーブルなど、財政破綻の危機にありました。この財政難の危機を打開するため、ルイ16世は銀行家のネッケルを財務長官に任命し、特権階級からの徴税を試みるも失敗。1789年5月5日、市民たちからの突き上げによって第三身分まで含めた「三部会」が開かれますが、第三身分に不利な議決方式であることが明らかになり、ついに改革派は球戯場の誓いによって特権保守勢力と戦う姿勢を明らかにし、国民議会を形成します。革命機運が高まるなか、7月14日、群衆は武器と弾薬があると思われたバスティーユ牢獄を襲撃し、ここからフランス革命がはじまるのでした。
「かかっているものは、たかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利に比べれば、たいした価値のあるものじゃない」とヤン・ウェンリーが語った(『銀河英雄伝説』2巻 野望篇 第五章)ように、「自由」「平等」はなによりも重要であるという価値観は、現在の先進国においては共通認識となっています。
230年以上前、民衆が「自由」と「権利」を求めて立ち上がったこの日、バスティーユを振り返り、自分が享受している自由が当たり前ではない時代があった、あるいは現在でも当たり前ではない地域があることに思いを馳せるきっかけになればいいですね。