『西遊記』の思い出から
ジェイ教育セミナー広畑校 有働
皆さんのお父さんお母さん、ひょっとしたらおじいさんおばあさんの世代の人しか覚えていないでしょうが、堺正章さんが主役の孫悟空を演じた『西遊記』というTV番組が約40年前にありました(香取慎吾さん主演のリメイク版ではありません)。
その番組では、毎回様々な妖怪が、若くして亡くなった女優の夏目雅子さん演じる三蔵法師の命を狙います。徳の高い高僧の肉を食べると、不老不死になることができるという設定で、妖怪たちは永遠の命を欲して三蔵法師一行をつけねらい、最後には孫悟空や沙悟浄(さごじょう)や猪八戒(ちょはっかい)たち、三蔵法師のお弟子に倒される、というのが基本的な流れです。
ある回で、不老不死を求める妖怪に、だれか(三蔵だったか、悟空だったか、それとも他の妖怪仲間だったか・・・)がこんな説教をしていました。
「仮に不老不死になったとして、今いる家族も、友人も、お前以外はみんないずれ死んでしまうのだぞ。新たに友人を持ったとて、お前はその友人の死を看取ることしかできない。そんなことに耐えられるのか?」
遠いかすかな記憶だけで書いているので、細かい言い回しやシチュエイションは当然あいまいですが、ともかく、そんな印象的なセリフのあった回でした。
当時、まだ小学校の低学年だった私は、単純に「不老不死になってもそんな問題が生じるんだなあ」くらいの感想しか持たずにいました。大人になった今思うと、八百比丘尼の数ある伝説の一つに似ている気もします。あるいは、あの番組のディレクターには、八百比丘尼の話が残っている日本海側の出身者がいたのかも知れません。
『西遊記』の妖怪たちばかりでなく、私たち人間もまた、歴史の始まったときからずっと死を回避する方法を探し求めてきました。もちろん、何かの条件を満たせば不老不死になれると本気で信じている現代人はもうどこにもいないでしょうが、人間の心の根底に死へのおそれがあることに変わりはない。様々な科学技術、芸術作品、文化のうちの少なくとも何割かは、この恐怖に人間が立ち向かった結果として結実したものです。
Art is long, life is short.
「芸術は長く、人生は短い」
という英語のことわざがありますが、ここで使われているartが「芸術」という意味で解釈されるようになったのはここ数世紀のことで、近世以前には、「医術をはじめとする技術を極めるには、死すべき定めの人間の生はあまりにも短いのだから、怠らずにがんばれ」というニュアンスで使われていたそうです(もともとはギリシャの医師、ヒポクラテスの言葉です)。
塾で私たちが教えているものは、「医術」などの技術のほんの初歩にすぎません。しかしそれが、将来の皆さんが学び極める技術の確固たる基礎となることを願います。