マハトマ・ガンディーから学ぶ事
ジェイ教育セミナー網干南校 瀬古
10月2日は、インド独立の父マハトマ・ガンディーの誕生日です。インドでは毎年10月2日はガンディーの誕生日にちなみ、「ガンディー記念日」という国民の休日になっています。
「マハトマ」は「偉大なる魂」という意味で、本名はモーハンダース・カラムチャンド・ガンディーと言います。
インドのグジャラート州出身で、当時、インドの宗主国であったイギリスで法律を学び、南アフリカ(当時のイギリス領)で弁護士をしていました。そのころ、南アフリカは白人優位の人種差別政策下で、ガンディーは鉄道の一等車への乗車を拒否されただけでなく、荷物と一緒に放り出されるという人種差別を経験し、ここから「インド人」意識に目覚め、同地の人種差別政策への反対運動を行うようになりました。
一例を挙げれば、ある州がインド人にだけ身分証明書を常に携帯するように求め、従わなければ投獄するという法律をつくろうとしていました。多くのインド人は暴力を行使してこれを変えさせようとしていました。
しかしガンディーは、身分証明書を携帯する必要はなく、咎められればおとなしく刑務所に入れば良いという指示を出し、各地で続々とインド人が刑務所に入れられていきます。
その結果、刑務所はたちまちインド人であふれ、白人の職員はてんてこ舞いの忙しさになり、たまらず州政府は法律を変える事になりました。
そして1915年にインドへの帰国後は、イギリスからの独立運動を指揮しました。
彼の闘い方は有名な「非暴力・不服従」です。
暴力は一切使わず、しかし言いたいことはハッキリ言う。
第1次世界大戦後は独立運動をするインド国民会議に加わり、イギリス製品の綿製品を着用せず、伝統的な手法によるインドの綿製品を着用することを呼びかけるなど、イギリス製品の不買運動を行いました。インドの糸車を回す有名な写真は、この歴史的背景によるものです。
抗議活動の度に彼は投獄されましたが、出所後も変わらず抗議活動を続け、ついに第2次世界大戦後、インドは独立を勝ち取るのです。
ガンディーはその後、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立をおさえようとしましたが、イスラム教徒を憎むヒンドゥー教徒の活動家により暗殺されました。
「非暴力運動において最も重要なことは、自己の内の臆病や不安を乗り越えることである」
「“目には目を”は全世界を盲目にしているのだ」
「暴君や殺戮者はそのときには無敵に見えるが、最終的には滅びてしまう」
世界中で国家間の対立が深まっている現代、この機会にガンディーの思想に触れてみるのも良いのではないでしょうか。