映画『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観て‐「言葉」の力


 ジェイ教育セミナー高校部 吉田


私は文系講師として日々の授業の中で「言葉」の大切さを語っていますが、それはテストで点数を取るためには、知識の言葉による客観化が増すほどより正確な答えにたどり着ける、と考えるからです。しかし今日は授業ではありませんので、それとは別の観点で「言葉」は我々の日常にどう大切なのか、について私の思いをつづりたいと思います。


先日、映画『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観に行ってきました。この映画は、小説が原作のアニメーション作品です。京都アニメーション放火殺人事件や新型コロナウイルスの感染拡大のため、何度も公開延期を重ねて、この9月にようやく公開されました。


ストーリーを手短に―『人のカタチをしている「武器」として、感情を持たず、言葉もろくに話せなかった少女に、ギルベルト・ブーゲンビリア陸軍少佐は、「ヴァイオレット」という名前を与え、彼女を一人の人間として扱い、教育を施していく。戦争終結後、ヴァイオレットは手紙の代筆業の職に就き、さまざまな代筆を通じて人の心に触れながら、「大切な人(少佐)」から最後に残され、理解できなかった「心から、愛している」という言葉の意味を探していく物語』




もちろんこの映画には様々なテーマがあり、観る人によって受け取るメッセージも涙するところも様々でしょう。私が観て感じたのは、人には「言葉」があるために文化があり、「言葉」が増えれば増えるほど心が成長し、物事に対する感動もますます大きくなるのではないか、ということでした。


私たちが普段から感じている景色の美しさ、食べ物のおいしさ、人のやさしさ、どれをとっても「美しい」「おいしい」「やさしい」といった「言葉」やその意味を知らなければ、こみ上げてくる「想い」がどのようなものなのかを、理解することも困難ではないでしょうか。


私たちは日々「言葉」を教えられ、経験を通して学び取り、さらにその「言葉」の意味の理解を深めることで、相手の気持ちだけでなく、自らの感情もより明確に自覚し、それをコントロールすることもでき、さらに自らの気持ちを相手に向かって正確に伝えることができるのだと思います。もちろん相手がその「言葉」を知っていなければ、どれだけその言葉が素晴らしいものであっても相手の心には刺さることはないかもしれませんし、その逆もまた然りでしょう。


また物事に対する感じ方も人・地方・国によって様々に変化します。語彙が異なることを考えると、おいしさの基準や美人の基準も変わることは当たり前といえば当たり前かもしれません。それが文化の多様性の基礎なのでしょう。


人間は「言葉」がある点で他の動物と違い、その「言葉」の持つ継続性が文化に寄与してきたとよく耳にしますが、私は文化そのものは「言葉」の力が成しえる副産物でしかないと考えています。我々人類が何万何千年と受け継いできたのは「美しい」とはどういう状態か、「愛おしい」とはどういった心の在り様であるか、ではないでしょうか。私たちは先人の残した多くの「言葉」を教えられ、受け継ぐことで、人生を豊かに感じることができる。


そして今度は我々が、後に続く世代に「言葉」を繋いでいくという大きな責任を担っている、と思います。それが「言葉」の最も力強い役割の一つであり、それを文化の継承と呼ぶのでしょう。