音読みの話


【 ジェイ教育セミナー大手前校 中森 】 


本日は2021年最初の漢字検定です。


というわけで、突然ですが漢字クイズです。


・「明」:この文字の音読みは何でしょうか。

「『メイ』でしょ。簡単!」といったところでしょうか。ちょっと勘のいい人なら「『光明』『明朝』…『ミョウ』!」と、音読みをもう一つ思いつくかもしれません。さらに「『明(ミン)王朝』って国があったなあ」と気づいた人は歴史ファンですね。

以上三つの答えはどれも大正解です!

さてこの音読み、中国語の発音が読みになったものなのですが、なぜいくつもの読み方があるのでしょうか。実は、この漢字が日本に紹介された時期に関係するのです。


・〈呉音〉〈漢音〉〈唐音〉

日本と中国との交流は紀元前にさかのぼり、銅鏡など漢字の刻印された道具などが多く伝来します。主な交流先は中国南東部の呉と呼ばれる地域でした。この頃から日本に定着した漢字の読み方を〈呉音〉と呼びます。

次に、遣隋使や遣唐使の時代。隋唐の都は黄河支流の渭水(いすい)流域の長安に置かれ、日本にも隋唐王朝の発音が伝わります。このころに伝わった漢字の読み方を〈漢音〉と呼びます。(ちなみに、中国を統一していた漢王朝が滅亡したのは隋唐よりずっと昔のことですが、「漢」という名称は中国のことを指す語として後世も残りました)

さらに時代が下って、十世紀以降に伝わった読み方を〈唐音〉と呼びます。(このころ唐王朝は滅亡していますが、先程の「漢」と同じような事情で、中国のことを「唐」と呼び表していました)


では先程のクイズの「明」の音読みを、上の三つの音で分類してみましょう。「ミョウ」は〈呉音〉、「メイ」は〈漢音〉、「ミン」は〈唐音〉です。


ところで、多くの音読みは〈漢音〉です。〈呉音〉は少なめ。〈唐音〉に至っては、一部の特殊な読みにしか残っていません。なぜでしょうか。

時代は792年、平安遷都直前の桓武天皇の治世です。当時は〈呉音〉と〈漢音〉の二つの読み方が混在していました。中国の法律や学問にならって国づくりをしていた時代です。桓武天皇は中国文明を学ぶ際のルール作りの一環として、漢文の読み方を〈漢音〉に統一しました。しかし、すでに日本に根付いていた〈呉音〉がそう簡単に一掃されるはずはありません。たとえば「城」は漢音「セイ」でなく呉音「ジョウ」で読まれますし、また、伝統を重視する仏教用語などには、現代まで〈呉音〉が多く残っています。「阿弥陀さまのご利益」の「アミダ」も「リヤク」も〈呉音〉ですね。

さらに後世に日本に伝わったのが〈唐音〉です。学問的にも日常的にも漢字の読み方がほぼ固まった後の時代に、散発的に入ってきた〈唐音〉は、一部の専門用語にしか残っていません。特に中国由来の仏教の一派である禅宗と、禅僧が伝えた文化に関する用語などが目立ちます。「看経(カンキン)…経を読むこと」、「庫裏(クリ)…寺の倉庫」などがそれです。

覚えるのは大変な〈唐音〉ですが、歴史の重層性を楽しみながら学びたいものですね。


では漢字クイズその二です。

・「行脚」「行灯」:この熟語の読み方は何でしょうか。

「…『ギョウキャク』?」などと読み始めたあなた、残念でした。それぞれ「行脚(アンギャ)」「行灯(アンドン・アンドウ)」と読みます。そしてこの見慣れない読み方は……そう、〈唐音〉です。


以下、三つの漢字について、三通りの音読みを並べてみましょう。ぜひ語感のイメージをつかんでみてください。

・「行」:〈呉音〉「ギョウ」/〈漢音〉「コウ」/〈唐音〉「アン」

・「明」:〈呉音〉「ミョウ」/〈漢音〉「メイ」/〈唐音〉「ミン」

・「清」:〈呉音〉「ショウ」/〈漢音〉「セイ」/〈唐音〉「シン」


……なんてややこしい。しかし、そのややこしさの原因には、歴史の積み重ねがあったのでした。ちょっとは漢字に興味が湧いてきましたか?

というわけで、今日は「ただの暗記ではない」漢字の音読みの話でした。

参考文献:『漢文入門』小川環樹、西田太一郎(岩波書店1957)第4部「漢字の形・音・義」