言文一致運動とステテコ


【 ジェイ教育セミナー大津校 中森 】



こんにちは。

いきなりクイズです。「言文一致運動」と「ステテコ」、一見関係なさそうな二つの言葉。しかしそこには共通点があります。いったい何でしょうか。

……といきなり言われても、言文一致運動とステテコの説明からしなければいけませんね、失礼しました。



言文一致運動とは、明治時代に起こった文学史上の試みで、日常的な現実をありのままに写し取る近代的な小説を実現するために、話し言葉と書き言葉とを一致させようという運動です。

ステテコとは着物の下に肌着として着用する短いズボンで、「股引(ももひき)」とも呼ばれます。今風に言えばタイツやレギンスなどが近いでしょうか。あそこまで肌にぴったりとしたものではありませんが。


さてクイズの答えです。言文一致運動とステテコと、二つの共通点ですが、答えは「落語」です。

今をさかのぼること100年以上の昔、明治時代の落語家に三遊亭圓朝(さんゆうてい えんちょう)と三遊亭圓遊(さんゆうてい えんゆう)という二人の名人がいました。


三遊亭圓朝(今の三遊亭円楽から師匠筋をさかのぼって5代前の師匠です!)は、大圓朝とも呼ばれる大名人でした。人情物(人間の心理の機微を描き出す落語)を得意とし、また現代にも残る様々な落語を新作した革命的な噺家であった圓朝によって生み出された名作は、枚挙にいとまがありません。「芝浜」や「鰍沢」「死神」など現代でも愛されるネタも多く、また、1日で上演し切れない連続物の大作もあります。立身出世物の「塩原多助一代記」や、「怪談牡丹灯篭」「真景累ケ淵」といった怪談です。


こうした大作は口述筆記によって書籍化され出版。落語ファンに留まらず、広く人気を博しました。


そんな折、西洋の文学に衝撃を受け、江戸時代とは違う、日本の新時代にふさわしい文体を模索していたのが長谷川辰之助、のちの二葉亭四迷です。決まり文句ばかりで言葉遊びのような古い文語体を捨て、日常的に使う言葉と文章の言葉とを一致させる、すなわち言文一致を進めることで、現実や人間の真情をより深く描写できると考えた二葉亭四迷は、新しい文体創出の参考として三遊亭圓朝の口述筆記本に目を付けました。

ストーリーが複雑に入り組んだ長編、しかも人間心理を鮮やかに描き出す圓朝の作品は、文学の近代化を求める二葉亭四迷にとって絶好の教科書だったのでしょう。二葉亭四迷やその周辺の文豪たちによって大きく進んだ言文一致は、明治時代から大正時代にかけて、森鴎外や夏目漱石といった作者による日本の文学史に輝く名作を生み出す原動力となりました。余談ですが、夏目漱石は落語好きで知られ、小説「三四郎」の中にも、当時の落語家を、実名を挙げながら評する場面があります。



続いて、圓朝の弟子であった三遊亭圓遊のお話、そして「ステテコ」のお話です。

弟子とはいえ、人情噺を得意とした圓朝と異なり、観客を爆笑の渦に巻き込む滑稽話を得意とした圓遊。

さらに圓遊は、ネタが終わった後で奇妙な踊りを踊ることで知られていました。その踊りこそ「すててこ踊り」。大きな鼻がトレードマークで「鼻の圓遊」とも呼ばれた彼は、ネタが終わるとぱっと立ち上がって着物の裾をまくり、股引を履いたすねを突き出し、「捨ててこ、捨ててこ」と歌いながら大きな鼻をちぎって投げ捨てるしぐさの奇妙な踊りを踊るのです。

それを見た観客の頭には、圓遊の股引と奇妙な歌が深く印象付けられ、いつしか股引は「ステテコ」と呼ばれるようになりました。

「すててこ踊り」があまりに人気が出た圓遊、あるときには一晩に36軒もの演芸場をかけもちしたという逸話が残っています。客の前に出たらネタもそこそこに「すててこ踊り」。それが終われば大急ぎで次の演芸場に向かう、という有様だったようです。

本格的な噺の技量への評価も高かった圓遊。このような形で人気が出てしまい、落語家としての実力が見過ごされてしまったことを残念がる声もあったそうです。


明治期の落語界を引っ張った、タイプの全く違う二人の落語家。しかし、それぞれの持ち味である「人情」と「滑稽」は、落語の魅力の両輪であり、この二人を得たことは、明治の落語界にとってこれ以上ない幸せであったように、私は思います。



「言文一致運動」と「ステテコ」をめぐる二人の落語家のエピソード、いかがでしたでしょうか。おあとがよろしいようで