デヴィッド・ボウイ "Heroes"
【 ジェイ教育セミナー花北本校 増田 】
デヴィッド・ボウイというアーティストをご存知でしょうか。
イギリス出身のロック・ミュージシャンで、1960年代後半にデビューしてからずっと第一線で活躍してきた素晴らしい音楽家です。1970年代にグラム・ロックと呼ばれる中性的で派手なファッションとキャッチーな音楽を組み合わせたスタイルで大スターになりました。
しかし、音楽表現をする上で架空のキャラクターを名乗り、世界中をツアーする生活を何年も続ける中で、ボウイは精神的な疲労が頂点に達してしまいます。そこで様々な喧騒から逃れるため、1976年に西ベルリンに移住しました。当時の西ベルリンは、いわゆるベルリンの壁で囲まれていました。
第二次世界大戦後の冷戦状態により、ドイツは資本主義の西ドイツと社会主義の東ドイツに分かれてしまいます。東ドイツに位置するベルリンも西と東に分けられ、社会主義の東ドイツの中に資本主義の西ベルリンが孤立したような位置関係になりました。国民の自由が制限され貧しい生活を送らなければならない社会主義から逃れるため、東ドイツから西ベルリン経由で西ドイツに逃げ込む人が続出します。そんな状況を重く見た東ドイツ政府は1961年8月13日に、西ベルリンの周りに突然壁を築き上げます。事前に何の予告もなかったため、離れ離れになった家族やカップルが沢山いたそうです。国境警備隊には逃亡者の射殺許可が下りていたため、東ドイツから西ドイツに入るのは不可能になったのです。
ボウイがそういった状況の西ベルリンを選んだのは、そこが壁に囲まれた陸の孤島であり、目立たずにすんだからでした。本来の自分を取り戻すために、静かに自分と向き合える場所が必要だったのです。
それから1年後の1977年に、ボウイは"Heroes"という曲を書き上げます。ベルリンの壁の下で出会う男女を描いた曲ですが、そこには「僕ならきっと大丈夫だ ここから出られるはずだ」という思いが込められているそうです。精神的な落ち込みから立ち直りつつあった自分と、壁に囲まれた西ベルリン市民が重ねられているのです。
歌詞の一部を私が和訳したものを載せます。下手な日本語ですが雰囲気はわかると思います。
「僕は思い出すよ 壁のそばに立っていたら 僕らの頭上で銃が発射された
そして僕らはキスをしたんだ 何事もなかったかのように
恥じるのは向こう側の奴らさ 僕らは永遠に奴らを打ち負かせるんだ
だから僕らはヒーローになれる 1日だけなら」
さて、曲の発表から10年経った1987年、西ベルリンの壁の前の広場でボウイは野外ライブを行います。スピーカーの4分の1を壁の向こう側の東ベルリンに向けて。そしてこの街で生まれた"Heroes"を歌います。
東ベルリンの若者はボウイの歌を聴くために壁の近くまで集まってきました。興奮した彼らは「ここから出してくれ!」と大声で叫びます。社会主義体制で権力に表立って逆らうことが出来なかった彼らを、音楽の力が動かしたのです。ロック・ミュージックが火をつけた若者の自由への叫びが、その後1989年のベルリンの壁の崩壊へと繋がっていきます。まさに音楽が世界を変えたのでした。
2019年に制作された『ジョジョ・ラビット』という映画があります。第二次世界大戦下のドイツで、ユダヤ人の少女をかくまうドイツ人の家族を描いた物語です。ドイツが敗北して人々が戦争から解放された街中で物語はエンディングを迎えるのですが、そこでデヴィッド・ボウイの"Heroes"がかかり、主人公の少年と少女が向かい合って踊り始めるところで画面は暗転します。ドイツが敗戦したのが1945年なので、もちろんその当時にこの曲は存在しませんが、こういった演出が映画のマジックです。曲の背景を知っている人にはより深い感動を呼ぶ素晴らしい場面でした。
ボウイは2016年に69歳という若さで亡くなります。その時に彼の死を悼んでドイツの外務省がツイートした言葉を最後に引用します。
「さようなら、デヴィッド・ボウイ。あなたは今、"ヒーローズ"の一員ですね。ベルリンの壁の崩壊に力を貸してくれたことを感謝します」