高校合格発表


 【 ジェイ教育セミナー広畑校 有働 】


今日は一般入試の合格発表の日でした。

私たちジェイの職員は、推薦入試と一般入試、この2回の合格発表のために1年間暮らしているようなものです。もちろん本人や親御さんほどではないにしても、発表の数日前からずいぶん緊張したり、眠れなくなったり、嫌な夢を見たりすることが珍しくありません。ですが、今年の発表でも、何人もの生徒たちの笑顔を見ることができました。生徒の皆さん、1年間、本当にご苦労様でした。

毎年、合格発表の時には、付き添いでいらっしゃるお父さんと話をすることがあります。普段、懇談などでお会いさせていただくのはお母さんが多いので、お父さんには合格発表の場で初めてお会いすることが珍しくありませんが、私自身が男性であるからか、お子さんの合格を喜んでおられるお父さんの姿を見ると、もらい泣きをしそうになることもあります。受験生の皆さん、せめて今日くらいは、これまで育ててくれたばかりか、高い月謝を払って塾に通わせてくれたお父さん・お母さんに感謝をしてもバチは当たらないと思います。


それぞれの進学先に進むに当たり、皆さんの多くは、様々な抱負をお持ちだろうと思います。これまで何度も卒業生を送り出し、また教室に遊びに来る卒業生から話を聞いた経験から、私が皆さんにお伝えしたいことを下に書きます。

(1)高校時代の友人は大事にした方がいい

もちろん、一般論にしかならないのですが、高校時代の友人は一生の付き合いになるケースもあるようです。高校時代の友達と、ささいな理由で喧嘩をすることもあるかもしれませんが、「相手が自分の一生の友達になるかも知れない」という意識をもって、致命的な仲たがいにはならないようにした方が良いと、数か月前に遊びに来た某高校を卒業した大学生が教えてくれました。彼に何があったのかは知りませんが(敢えて聞きませんでした)、きっと、それなりに思うところがあったのでしょう。


(2)「役に立たない」ものほど面白い

参考書などを見ると、「大学受験に関係のない科目は一生懸命勉強しなくて良い」と書いてあるものが多いようです。私自身もそうしたアドバイスを鵜呑みにして、高校時代は勉強しない科目がたくさんありましたが、今、この年になって思うのは、古典文法や現代社会、物理なんかは勉強しておけば良かった、ということ。確かに、私にとって受験には直接関係しない科目だったのですが、特に古典については、「あの先生の授業をもっとまじめに聞いておけばよかった」と強く思います。そう思ったのは、大学に入って、古典の世界の面白さがだんだんわかり始めてから。高校の先生の中には、学識が深く人間的にも尊敬できる、本当に立派な方がたくさんいらっしゃるのですが、私の高校時代の古典の先生はそうした先生の一人だったと気づいたのは高校を卒業してからでした。「受験と関係ないから〇〇なんか勉強しないでいい」なんて、何か功利的な、底の浅い考え方であるように今の私には感じられます。もちろん、大学受験というものがある以上、主たる関心の対象がその受験に必要な科目に向けられるのは無理からぬところでしょうが、せめて必修科目に指定されている教科は、考査(中学で言う定期テストのこと)で合格点が取れるくらいには取り組んでみてはどうでしょう。必修科目に指定されているということは、「これは高校時代に一通り触れておくべきだ」という判断が教育の長い歴史のなかで働いてのことなのです。そこには、ちゃんとした理由があると考える方が自然でしょう。

皆さんが愛して愛してやまず、奪われれば半狂乱となること必定のテレビやスマホやSNSだって、突き詰めて考えると生存に必要不可欠なものではありません。そうしたものに夢中になれるということそのものが、人間が生存のみを目的とするわけではないことの証であり、人間が他の動物と異なるところです。勉強だって同じこと。「受験に必要ない」科目の中にも、面白い内容がたっぷり詰まっているのですから。


(3)根拠のない自信はほどほどに

「根拠のない自信を持つことは若者の特権だ」と言ったのが誰だったのか、ちょっと思い出せませんが、程度の問題ではないかな、と思います。

義務教育だった中学時代とは異なり、4月から皆さんが通う高校では、似た学力の生徒が集まることになります。第4学区では考査ごとに学校の中の順位や偏差値を明らかにしてくれる高校も多いです。5月・7月と続いていく考査の中で、順位がどんどん下がっているにも関わらず、「順位がこうなったのは、おれ(私)が勉強しなかったからだ。勉強さえしたら挽回できるから大丈夫」と自分に言い訳をし、結局高3の部活引退まで同じことを繰り返した卒業生を何人も、何十人も知っています。部活を引退してから始めても間に合うような受験は高校受験くらいであって、大学受験ではそんな短い準備期間では到底良い結果が残せません。

自分自身を客観的に見つめるのは誰にとっても簡単なことではありませんが、こと成績に関する限りは、「数字」という揺るがぬ指標が出ます。その数字を、言い訳せずに受け入れてほしいと思います。


老人の常で、めでたい日にもかかわらず説教をしてしまいましたが、ほんの一部でも、皆さんの役に立つ部分があれば幸いです。