君の名は
【 ジェイ教育セミナー手柄駅東校 久米田 】
100均ショップで必ずやることがあります。印鑑コーナーで自分の名前を探すことです。でも一度も見つけたことがありません。「久米」「久保田」「米田」はあるのに「久米田」がない。納得いかない。そんなに需要がないのかと『名字由来net』で調べてみると―…全国に1800人ほどでした。まさか個人的に憧れている名字No.1の纐纈(こうけつ)さんの5200人よりも少ないとは。日本一多い「佐藤」さんは183万人(高知県+島根県+鳥取県人口と同数)なので、わずか1000分の一。1クメダ=1000サトウ。いいですねぇ、佐藤さんは。間違いなくDA●SOにもSe●iaにもC●n★Doにもあります。鈴木さん(177万人)や高橋さん(138万人)ほどじゃないにしても、もっとメジャーな名前がよかった。気軽に改姓できるものならしてみたいですが、
というくらいの事情がないと姓を変えるのは難しいかな、と思います。
改名といえば、あるニュース番組で脚本家の三谷幸喜氏が、『鎌倉殿の十三人』には採用しなかったけれどこんな面白い話があるんですよ、と源義経のエピソードを紹介していました。
平家滅亡後、兄の頼朝の許可を得ないまま朝廷から義経が官位を受けたため、頼朝との間に亀裂が入り、謀反人として逃亡している最中のことです。摂家の九条兼実が、兼実の子「良経」と義経が同音だったことから、逃亡犯の義経の名を「義行(よしゆき)」に勝手に変えてしまいます。もちろん義経は自分の名前が変えられたことは知りません。しばらくしてから、「義行」は「よく行く=うまく逃げる」ことに通じるから捕らえられないのだ!という意見が出たので「義顕(よしあき=よく現れる)」にまた勝手に改名。この改名のためというわけでもないでしょうが、その後、奥州まで逃げていった義経が、庇護を求めた藤原泰衡に襲撃され、妻子とともに自害したことは皆さんがよく知る通りです。
現代の日本では、名前を変えるというのは、なかなか難しい(「王子様」という名前がイヤで改名した事例のように、よほど日常生活に不都合がある名前でないと法的に認められない)ようですが、昔はわりとよくある話でした。アイヌには赤ん坊に病魔が近寄らないようにあえて汚い幼名(「オソマ(うんこ)」「シオンタク(うんこのかたまり)」「セタシ(犬のうんこ)」など)をつける風習がありましたし、奈良時代後期の宇佐八幡宮神託事件(※1)では、和気清麻呂が改名させられています。
分国法の「朝倉孝景条々」で有名な戦国武将の朝倉孝景に至っては、荘園侵犯の報復として行われた興福寺の名籠め(※2)から逃れるために、教景(のりかげ)から孝景(たかかげ)に自ら改名したようです。
ちなみに『名字由来net』によると、私と相性のいい名字は「吉田」さん(女性)らしいです。写真を持っているだけでも運気が上がるそうなので、今日から「吉田沙保里(※3)」さんをスマホの待ち受け画面にしておきます。
※2 名籠め:寺に反抗的な人物の罪状と氏名を紙片に記して寺内の堂に納め、その人物を呪詛し、仏罰を与えるという呪術。そんなデスノートがあるはずないわ、と侮るなかれ。呪詛された人物が治めていた地域の村人130人が次々と亡くなるという恐ろしい記録も残っている。なぜか当の本人は無事だったようですが。