「政治の季節」にリンカン大統領を考える


 【 ジェイ教育セミナー龍野校 淡井 】


暑い夏でした、と言いたいところですが、まだ気温は高いままです。いかがお過ごしでしょうか。私は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴオ」を聞いて、涼しい北欧を想像しています。よろしければ、お試しください。さて、今年の夏は、アメリカ大統領選の党大会、また、日本では、与野党での党首選の話題と「政治の季節」でした。今日は、歴代アメリカ大統領の中でも、評価の高いリンカンについて考えてみたいと思います。

リンカン大統領の優れたところは何か。これについて、私は3つの点をあげます。


①優先順位を明確にする(短期的利益より長期的利益)

リンカン大統領といえば?おそらく、アメリカ南北戦争で、北軍を勝利に導いた大統領、という連想が真っ先に来るでしょう。ただ、最初から、開戦ありきだったわけではありません。むしろ、南部を引き留めるべく、粘り強く交渉していたことも忘れてはいけません。当時でも、イギリスのパーマストン首相などは、「なぜ、黒人奴隷解放を旗印に、さっさと開戦しないのか?」と不思議に思っていました。また、アメリカ国内でも、同様の論調がありました。では、なぜ交渉を続けたのか。当時の国際情勢に理由がありました。まず、イギリスでは、「アメリカ合衆国が南北に分離した方がよい、なぜなら、南部から綿製品(産業革命の象徴)の原料である綿花を安定して輸入できるからだ。」という主張が見られました。また、フランス皇帝ナポレオン3世は、弟をブラジル皇帝にするなど、アメリカ大陸植民地化への野心を隠していませんでした。その状況下、リンカンは、アメリカ合衆国の南北対立が、ヨーロッパ列強の介入を招くことを、警戒していたのでした。この状況は、幕末の日本の武士たちの危機感、すなわち江戸幕府と新政府軍の戦いにイギリス、フランスが介入することへの警戒心と共通するところがあります。政治家として、短期的な名声、支持率上昇を望むならば、開戦を急げばよかったのかもしれません。ただ、リンカンは、前述の国際情勢を考慮し、長期的な国民の利益を考えていたと言えるでしょう。さらに、残念ながら、南部と折り合えず開戦となった後、予想に反して、北軍は連敗します。そこで、側近が、「今こそ、黒人奴隷解放を旗印に」と勧めました。しかし、リンカンはどう答えたか。「ここで、それを唱えたら、黒人奴隷解放への真剣さを疑われる」というものでした。つまり、南北戦争を避ける、という最優先事項が叶わない以上、黒人奴隷解放は必ず達成せねばならない、それを戦争の手段にしてはならない、という意志表示でした。そして、北部にとって、戦局が改善したとき、黒人奴隷解放を表明します。それは、北部の士気を高めるだけではありませんでした。南部では、リンカンの決意を信じ、北部へ逃亡する黒人奴隷が現れます。また、国際世論が、彼を熱烈に支持し、その結果、ヨーロッパ列強の南北戦争への介入に歯止めをかけることにもなりました。短期的な利益より、長期的な利益を優先する。これは難しいことだと思いますが、リンカンは見事に判断しました。これを教訓に、受験生の皆さん、入試のために、日々の生活に優先順位をしっかりと!


②熟慮断行

黒人奴隷解放について、意外な障害が現れました。それは、裁判所・裁判官でした。どういうことか。「黒人奴隷解放は、奴隷所有者の財産権を侵害する」という論理でした。つまり、黒人奴隷は、その所有者(!)にとって、私有財産である。だから、黒人奴隷解放は、憲法に明記された黒人奴隷所有者=白人の幸福追求の権利を侵害する、というのでした。これに対し、リンカンは、戦時の大統領大権を行使し、対応しました。リンカンは、政治家になる前は弁護士でしたから、法の支配、三権分立について、おろそかに考えていたはずはありません。しかし、必要であれば、前例を破ることもためらいませんでした。ここで、私は考えたくなることがあります。リーダーとは?メンバーのために、面倒なことを引き受けられること。苦しい立場のメンバーのために動ける人。これに一分の理があるならば、現在、リーダーに値しない大人が多すぎます。部活、生徒会活動のリーダーたる塾生のみなさんにも考えていただければ、と願います。


③どうあるべきかを忘れない

先ほどから、アメリカ合衆国と書いています。しかし、本来は「アメリカ合州国」と書いた方が良いくらい、アメリカの各州は、成立の事情、歴史が、異なっています。その違いを抱えたまま、アメリカ南北戦争によって、勝利した北部各州は正義、敗北した南部各州は悪という図式ができかねない状況になりました。リンカンは、南軍降伏後の演説で、敵味方なく手をたずさえ、南部復興にあたることを表明します。分断はアメリカ本来の姿ではなく、各州の違いを乗り越える、という建国以来のあるべき姿を、提示しました。もし、彼が、今のアメリカを、さらに世界を見たなら、どう思うか。世界中の大人が考えるべきテーマかと思います。


以下の本を参照しています。

君塚直隆『近代ヨーロッパ国際政治史』有斐閣(体制や理論ではなく、人物に焦点をあてており、非常に興味深く読めます。)
高坂正堯『古典外交の成熟と崩壊Ⅰ』中公クラシックス
吉田健一『ヨーロッパの人間』講談社文芸文庫